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猫の命は私の命より重い・・・

労働者の皆様

こんにちは。リェータです。今日も労働で精神をすり減らした現代の奴隷に娯楽を提供するためにブログを書き続ける。

 

こんな金にもならない、サーバー代を稼ぐの精一杯の完全な趣味である。ブログを書くことライターの仕事(労働)であるが、まったく苦ではない。労働と違って誰かに命じられてやる仕事ではないからでしょうね。カッタルイと感じたらやらなくていいのは最高です。そして、この手の記事は、漫画家の作品と一緒で労働が「その場限りではない」というのが強みです。

 

今回のネタは駅前を歩いていると目にすることが募金活動について書いていく。

 

 

目次

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ネコちゃんへ募金

以前、駅前を歩いていたところ、ぱっと見て30前後の男性と、20代半ばくらいの女性が「恵まれないネコちゃんに募金をお願いします」・・と駅の入り口で声を張り上げていた。それを聞いていたおじいちゃんとおばあちゃんが募金箱にお金を入れていた。募金をしたお年寄り夫妻?でしょうけど、ネコちゃんを救うために紙幣を差し出した光景を見た。

 

 

さきほどの夫妻以外にも、募金箱に小銭をいれる30代の労働者や、色々な人がいる。ネコちゃんが困っていると救いのお金を差し出してくれる。可愛い猫ちゃんなら救いたい人がたくさんいることがよくわかる。子猫なんて天使みたいなもので、あんな目で見つめられたら守りたくなる。育って大人の猫になっても可愛い。太っていても可愛い。ドジを踏んでも可愛い。髭が生えていても私のように「髭をそれ」なんてこと言われない。職場で寝ていても「さぼってないで働け!」とかどやされることもない。

 

 

猫は何をしても可愛いのである。ベンチで酔っ払いのように仰向けに寝ていても可愛いのである。猫は人類に愛される要素を備えた完璧な存在です。

 

 

私への募金

それに対して、毎日やりたくもない労働をして精神が病んでいる私を、救ってくれる人はいないのだろうか?私が駅の入り口に立って、「恵まれない現代奴隷を救ってください! 宜しくお願いします! 」と募金箱を差し出したら、誰かお金を入れてくれる人はいるのだろうか?おそらく1週間やっても誰もお金をいれてくれないというのは、想像が容易にできるでしょう。

 

 

それどころから警察官が来て、物乞いという軽犯罪法違反で検挙されて刑務所に入るかもしれない。人間が他人にお金をねだる行為は、法的にアウトなのである。海外に旅行をしたことがある人ならわかりますけど、海外の大都市、モスクワ、サンクトペテルブルグとかだと、足を負傷した元軍人や、生活に困っているおばあちゃんがお金を集めている光景を何度となくみたことがあります。

 

 

ですが、日本ではそういう光景をみたことがありません。それどころか、そういう行為は法的に禁じられています。だから見たことがないですよね?

 

ネコの命 > 私の命

このことから、30代おっさんの命より、猫の命の方が重いのである。だから、みんな命と時間の次に大事なお金を募金箱に入れるのである。ネコはお金を出して救う価値がありますが、私の命は救う価値が無いのである。悲しいね・・・

 

猫の命はおっさんお命より重い。その認識ができないものは地の底を這いずり回る。

コメント

  1. 自分のために募金をつのるのは乞食というのであって、募金というのは人や他の者のために募るから集まるのであって

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