スポンサーリンク
スポンサーリンク

体験談:休職したが貯金残高が減っていない

お金

労働者の皆様


毎日、嫌な労働お疲れ様です。ムカツクお局の顔を見てないリェータです。働きたくないが合言葉。
この記事を書いている時点で、休職してから1カ月半が経った。労働をしてないのだから、振り込まれる給料が少ない。だから資産が減っているはずだ。

目次

貯金残高はほとんど減っていない

さきほど貯金残高を確認したが、残高が先月末と比べて、ほとんど減ってないことに気が付いた。僅少な賞与、6月の残業代が振り込まれたくらいです。


証券口座を久しぶりに覗いたところ、ETFの含み益が増加している為、資産額も減っていない事に気が付いた。これは非常に精神に良い。働いていないにも関わらず資産額減らない、最悪、保持しているETFを売却すればいいのだから・・・


それをすれば20年以上は労働をする必要が無い、今住んでいるアパートから退去して、大分県杵築市のように激安家賃アパートに住めば、無職可能期間は、もっと長くなる。


20代前半のとき、お金に対して真摯に向き合ってなかったころと比べると、遥かに進歩しているなと実感する。節約と投資に努力を全振りしたところ、その威力を休職して労働ができなくなった今、実感している。やはり、貯金は副作用が無い薬、精神安定剤なのです。日頃から、この言い回しを言い続けて、周りから「つまらない人」という評価を、おそらく受けているが、それでも構わない。


20代前半時は長時間労働のストレスで食費が多い、お菓子を食べる、太ったり、長時間労働で腰等がダメージ受けて、病院通いをしていた。残業代を稼いでも医療費でお金が消える意味が無いことをした。


IT業界にいたときの話はこちらです。

「働きたくない」が節約に対しての「やる気」となる

余計なお金を使うと労働をしないといけなくなる・・・・このフレーズが私を節約に走らせるのでしょう。以前の記事でも書いたが、私の月の生活費は(家賃を含めても)10万円も行きません。


それどころか、労働をしてないのでランチ代も削減できて、おそらく8万円代です。7月の収入はだいたい総支給で13万円くらい。これでも生活ができてしまう。私は自由が欲しい、好きな時間に起きて、好きなことをするということが好きです。目覚ましも止めて朝から強制に起きなくなり、最近は光で起きる目覚ましで起きてます。


音で起きるのとは異次元の快適な目覚めを促す光目覚まし時計inti(インティ)


これが目覚めがいいんですよ。なんか光で自然と起きる。たたき起こされない感覚で目が覚める。就寝時間も11時~12時となり、体の調子もいい。月曜日の労働が待ち受ける状態からも逃げることができている。

平日の昼間にカフェに入り浸る

長時間労働をしていると、これができないのです。だが、労働していない今なら、これができる。昼間のカフェは人が少ないから快適です。


時間できたので英単語帳を広げて語彙力強化に励む、英検1級合格を目標に頑張ることにした。アメリカやイギリスが好きな訳ではない。特に、アメリカは労働の義務を記載した日本国憲法を押し付けた元凶だから嫌いなくらい。英語はただのツールとして勉強をしている。覚えとけば日本ではハッタリが聞く、労働収入を上げる為には良い努力でしょう。

英語漬けになる


その甲斐あって、英検1級の語彙問題は安定的に正解率を高めることができるようになった。語彙力が上がった実感は、洋書を読んでみると実感する。辞書をみると頻度が激烈に減っているが自分が興味が無い分野だと辞書は必須です。語彙力を上げれば上げるほど、意外な意味を持つ言葉や句動詞に出くわすことがある。

  • ring up
    電話をかけるという意味もあるが、物を購入するときに品物をスキャンすることも ring up という。
  • drive
    運転することだが、名詞でmotivation(やる気)という意味もある。
  • handle
    日本語にもなっているが、「きっかけ」という意味もある。
  • field
    名詞だと「分野、畑、戦場等」と、色々と意味があるが、動詞だと(質問を)うまくさばく、うまく答えるという意味がある。
  • pound the pavement
    poundには、~を粉々に砕く、(楽器のドラム)を荒々しく叩くという意味があるが、この言い回しは、「職探しをする」という意味

語学に終わりは無い、洋書を読むのは

労働へ戻される日

休職をしているだけだから、働いていないというのは一時的な状態で、遅かれ早かれ刑務所に戻されるのです。退職をしないなら、そして社会の歯車として老いて解放されるまで続くのです。


今回の休職で分かったことだが、ヨーロッパの国で行っている1か月まるまる休みを取るという行為は、結構合理的なんじゃないのか?と思う。だって、ある程度のまとまった期間を休みを取ることで、色々と考えることが出てきた。


例えば、体を少しずつ動かして疲れさせるために、ウーバーイーツとか出前館のウェブサイトを見て、配達員をやってみようかなとか考えた。体を動かして小銭を稼ぐことができればいいね。田舎に引きこもると、ウーバーイーツや出前館なんて範囲外だろうし、小銭稼ぎに制限がでますよね。


さらに、リタイア後の住まいの事も考えていた。中古住宅を購入して電線類を公示するか、土地だけを購入して、セルフビルドで自宅を建築するか・・・・と考えた。いずれ場合も電気工事が必要になる。


その際に必要な電気工事士の資格の勉強を始めている。これができればマイホーム維持費の激烈な削減、電気回線については業者がいらなくなったりします。


人間、こうやって自発的に、必要に駆られて行動するようにできているでしょうね。学生の頃、学校に通い勉強をすることが猛烈に嫌いで、授業も嫌々受けていたが、自主的に勉強するのは本当に良い。


休職してから。こうやって自分の人生を振り返る余裕ができたわけだが、逆に労働漬けになっていると余計な事を考えないというメリットもある。一度世の中の事をしってしまうと、知らない状態には戻せない知の不可逆性に陥りますよね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました